一緒に蚊に刺されようぜ

去年の11月アルバイト先でよく来てくれるお客さんに、1人で猫カフェに行った話をしてみたら思いのほか食いついてきて、一緒に猫カフェに着いてきてほしいと頼まれた。笑顔が可愛くて、声が落ち着いている人で好きになれるかもしれないと思った。「良いですよ、でも外であったら思ってるより可愛くないかもしれませんよ」とふざけて言ってみたら「いや、そんなつもりはなくて、猫カフェ友達になれたら」と言われてがっかりしたけど、そんな風に仲良くなれると思ってもらえるのはとても嬉しくて新しい気持ちだった。その日はお店を出るとき、上着を席に置きっぱなしにしていてまぶしかった。バイトが終わって紙に書いて渡してくれた連絡先に猫カフェのURLとメッセージを送った。そのときの下書きがまだスマホのメモに残っている。

 

その人の初めて知ったフルネームの本名がぱっとしなくて良かった。

待ち合わせの猫カフェの前についたらすごく真剣な目で見つめてくる人がいて、普段は被っていない帽子のせいですぐに気づけなかったけどその人だとわかった途端、緊張ぶりが面白くて笑い出しそうになるのを必死でこらえて声をかけた。

猫カフェを出て「お腹すきましたね」と言ってあげたら近くのスープカレー屋さんに連れて行ってくれた。お店のお手洗いに入って5秒後ぐらいにやっと思い出したように鍵のかかる音が聞こえてきて面白かった。腹ぺこを装っていたのに、いざスープカレーが出てきたら会話に夢中でゆっくり食べすぎて満腹中枢が刺激されたのか2人とも半分以上残してしまった。

スープカレー屋さんを出た後も20時頃の四条河原町を散歩した。深刻な冷え性に悩まされていたその人は、ロフトで身体を温めてくれる入浴剤を購入した。効果がどうか気になると話していたのにいつまでもその入浴剤は洗面台に飾られていて嬉しかった。なにか商品を指さすとき、その人の手は微かに震えていて冷たそうだった。服や化粧品を見るとき、きいてもないし告白すらされてないのに前の恋人の話をしていてかわいそうだと思った。自転車を駐輪所に駐めていると言われて、多分これが解散の合図だったんだろうけど、察しが悪いふりをして着いて行ったら、自転車を押しながら三条京阪駅まで送ってくれた。

 

また猫カフェ友達として他の猫カフェにも行きましょうと言っていたのに、紅葉を見に行ったりおすすめの映画・ライブDVD鑑賞会をすることで2人で会う日をつくった。映画を見ている時に一切話しかけず、遠い距離から同じ画面を見つめていてくれるところが信用できた。

ライブDVDでその人の聞きたかった曲が終わった後、ゲームをしていたら疲れてきて画面を見つめていたら髪をなでられて振り向くと目が合った。キスをされてキスってこんな無許可で行われるものなのかと怖かったけど嫌ではなかった。「俺と付き合ってみいひん?」という文字に起こすと関西弁過ぎて面白い告白を受けて「付き合います」と言った。その人は「ほんまに?」と自分で告白したのに驚いていて、実は私も「付き合います」という言葉が出てきたことに驚いていた。自分に恋愛ができるとはそれまで思えなかったのに、その人が自分のことを好きだとはっきりした瞬間にこういうことの積み重ねで恋になるのだとわかった。

 

恋は恋のまま私の生活を豊かにして、でも時々おかしくさせた。確実に悪なのに悪気のないその人の行動が決定打となり、そのひとは私のそばにいる資格がないから見捨ててほしいと言った。そばにいる資格があるかどうかは私が決めたいと言ったら、一生幸せにしてあげられる自信がないと言われてしまった。「幸せにしてほしい」ではなくて「一緒に幸せになる」姿勢でかかわってきたつもりだけど、自信がない人とは幸せになれないだろうなと思った。

 

別れてからはうまく眠れなくなって、やっと浅い眠りにつけても目覚めるとその人に大事にされなかった身体に大事にされなかった魂が入っていて、おはよう大事にされなかった私と思ってしまった。食欲がわかなくて体重が34キロまで落ちた。鳥や自転車や音楽、すべてのものがその人に仕える光に思えた。別れてからも好きでい続けることができた。よくよく考えてみたら大事にされていなかったわけではなく、その人が一部分において馬鹿すぎただけだと思った。嫌いになるための音楽を聞いてみたり、嫌いなところを書き出してみたけど、それと同時に思い出す思い出ほとんどが人生で1番楽しかった瞬間のように思えた。鴨川を散歩したときにその人がサギを見つけて「鴨川のスターや」と言ったのが好きだった。2月の神社のお祭りで冷えたポテトを食べきったあと「もうすぐ春や」と言っていたのが好きだった。一緒に行ったライブでの音楽のノリ方が気持ち悪くて好きだった。長崎に向かう電車の中で桜並木を見つけて「桜の国や」と言っていたとき世界で1番愛してあげると思った。長崎から帰る新幹線でイヤホンを分け合ってお互いの手を叩いて音楽の感じ方を伝え合うとき、命が輝いていると思った。その人の隣にいるとき私は蚊に刺されることができた。別に引きこもってる訳でもないのに毎年ほとんど被害を受けることがなくて蚊の世界に私はいないのだと感じることがある。でもその人の隣にいるときは命が輝いているからなのか蚊が私の血を欲しがった。

 

人間はみんなが唯一無二だけど、その人だけが私にとって本当に唯一無二だと思ったから私が大学を卒業したら一度デートをする約束をした。それまでに私を幸せにする自信を取り戻してもらわないと困るから、今よりも確実にいい人になる約束をして、そのためにした方が良いことも手紙に書いて渡した。久しぶりにバイトのことで電話をしたら実践しているみたいで嬉しかった。

 

その人がしてしまった致命的なこと以外にも別れるに至った原因はあった。私のメンタルの不安定さだった。別れる前までの私は性格診断の「人に相談することは無意味だと思う」という設問で「とてもよく当てはまる」を即決で選ぶ人間だった。そのためメンタルに限界が来るまで誰にも相談できず限界が来たところでその人のみに頼ろうとしてしまっていた。でも、別れるときにもっといろんな人に心を開いてみてほしいと言われて、いろんな人に初めて本気の相談をできるようになった。相談をして、相手と自分のリアルの違いにがっかりして嫌いになりたくないと思っていたけどみんな私が思っているより真剣に考えてくれて、逆に私の今までの態度が不誠実で恥ずかしくなった。メンタルを不安定にさせている主な原因の最悪なバイトも辞めた。バイトの内容で憂鬱になる気分とそれをだれにも心から相談できないどうしようもなさがその人に会いたいという純粋な気持ちをマイナス方向に加速させていたことが馬鹿らしいと笑えるようになった。

 

この夏、その人といるとき以外にも一度だけ蚊に刺されることがあった。ある程度元気になって散歩中に、その人が別れてからつくったSpotifyのプレイリストを聞いてみたら、BUMP OF CHICKENの『アカシア』、sumikaの『Lovers』、あいみょんの『ふたりの世界』が流れてきた。いつになっても私(俺)のことを好きでいてほしいと思ってるけど、代用品はないから腹をくくって、浮気してよそ見して最後の最後に迷いなど捨てて抱き寄せてほしいって思ってるってこと? 私の隣で魂がここが良いって叫んでるってこと? 隣でどこまでもいけるって信じてほしいってこと? こんな風に元恋人のプレイリストから本音を感じ取ろうとすることは危険な気もするけど、私に見えるように公開されたし、1年半後に成長してデートすることも決まっているのにそう受け取らないのは変だと思う。じゃあ、いいよ特等席は空けておいてあげるから1年半後にやっぱり大好きだったって思わせてよ。絶対に一緒に幸せになろうよって思ってたら命が輝きだして初めて1人で蚊に刺されたよ。